序、インフレーション(以下インフレと略)とは何か
『岩波国語辞典 第3版』(以下『岩波』)によれば、インフレの定義は次の通り。
インフレーション 通貨が社会の通貨需要量よりも相対的に膨張する現象。物価が暴騰する。
この定義によれば、マネーサプライを増やすか通貨需要量(つまりは社会で産出している財の総量)が減るかすればインフレになるということであるが、つまりこれは貨幣数量説である。以下の説明によりこの定義は不十分である。
では、「物価が暴騰する」の方はどうか。これは経済辞典の定義に近いが、例えばクリーピング・インフレの場合は「暴騰する」とまでは言えない。(註1)したがって、『岩波』の定義はかなり問題があるというべきである。
『2008年版経済新語辞典』(以下『新語辞典』)によれば、インフレの定義は次の通り。
インフレ[inflation]
一般に物価水準が持続的に上昇することをいう。インフレは、その発生原因の相違により性格や現象に違いがある。主な種類は次の通り。
@紙幣インフレ=流通に必要な数量以上に紙幣、特に不換紙幣が乱発され、そのために貨幣価値が異常に下落していく過程ないしその現象をいう。
A信用インフレ=銀行の信用創造による貸し出し増加によって起こる物価騰貴の状態で、特に金融機関が放漫な貸し出しを行い、企業の過剰投資を助長するときに起こる。1980年代後半のバブル期には一般物価は比較的落ち着いていたが、金融機関が土地担保融資に極端に傾斜したため、地価を中心に「資産インフレ」が起きた。
B為替インフレ=国際収支の支払超過が異常に増えて為替相場が暴落し、輸入品の価格が急騰して国内物価がこれにつれて上がり、さらに海外への資本逃避と為替投機のため為替相場の下落と国内物価水準の騰貴が悪循環する状態。
C賃金インフレ Dコストインフレ E需要インフレ F財政インフレ G公債インフレ H輸入インフレ Iボトルネックインフレ
ここではこの『新語辞典』他一般的な経済辞典に従い、インフレとは物価の持続的な上昇と定義しておこう。
では物価とは何か?『岩波』によれば、
物価 諸商品の価格(市価)。「――指数」(物価の平均的な高さを示し、変動などの比較ができるように、一定の計算法で求めた指数)
である。さらに価格とは『岩波』によれば、
価格 物のねうちを金額で表したもの。あたい。ねだん。
である。これらを経済学用語らしく定義しなおせば、物価とは社会に流通している財の価格指数の平均、価格とは財の交換価値を貨幣量で表現したものといえるだろう。
ところで、価格が上昇する条件として、需要の増加が挙げられる。つまり、インフレとは需要に対する供給不足の持続ともいえるのである。
あるいは同じことだが、インフレは価格の上昇局面が持続することである。
デフレーション(以下デフレ)はこの反対である。すなわち価格の下落局面の持続である。
『新語辞典』のデフレの定義は次の通り。
デフレ[deflation]
モノやサービスなどで広範に需要が供給を下回り、物価が下落している状態。政府は「持続的な物価下落」と定義している。政府は2001年4月に、日本経済は戦後初めて「緩やかなデフレにある」と認定している。デフレ化ではモノの価値が下がり、カネの価値が上がるため、実質的な債務負担が増加したり、売り上げが減少したりして企業収益が減少する。
これらを言い換えれば、インフレやデフレとは物価の動的な変化の様子を表現したものであって、それぞれ一方的に上昇、下落を続ける状態に特に注目したものといえる。
ところで、ここまでは財の種類について考慮してこなかった。いうまでもなく、現実の経済は一つの財からなっているわけではない。先に見たとおり、物価とは一般的な財の価格指数の平均である。つまり市場には多数の財が存在する。そして、一つ一つの財の価格はそれぞれの財の需給バランスで決まる。ということは、あらゆる財の価格が一様に変化することはまずないといっていいので、ある財では価格が上がり、また別の財では下がる、といった現象が普通である。例えば先の『新語辞典』の「資産インフレ」とは、いわば地価が物価を引っ張り上げた形となったことを指す。
いつインフレが始まったか、または終わったか、ということを一般的に定義する方法はない。
一、インフレの原理
ここではインフレが起こる原理について詳細に考察する。前提条件として、特に記す場合を除き貨幣の機能は保存されているとする。
先に述べたとおり、インフレは供給が変化しないとすれば需要の増大によって、また需要が変化しないとすれば供給の減少によって起こる。ほかの原因は全て二次的、三次的原因であり、インフレ(またはデフレ)に傾く根本原因を需給バランスが作っている(ただし為替インフレだけは貨幣の機能の破壊に関わる別の原因がある。以下で説明する)。
例えばコストプッシュ・インフレの場合は次のようなものである。
原材料の価格が上がったという理由で商品の価格を上げたとする。この場合消費者がその価格を受け容れて購入すればインフレになるが、受け容れずに購入を見送ればインフレにはならない。
ある財Aの価格が100円から160円に上がったとしよう。代替財が存在しない、生活必需品である、などの理由で消費者がその価格を受け容れた場合、これは1.6倍の需要増と等価である。
思考実験:仮に中央銀行が新しくX円のお金を刷ってA氏に渡したとしよう。果たしてX円分の物価上昇は起こるか?
A氏は既に中央銀行からX円を渡されているから、X円分の貨幣はある。あとは欲望の有無が需要の有無を決定する。
(1)A氏に十分な需要がある場合。言い換えれば欲望と貨幣がある場合。
A氏はお店でX円分の商品を購入する。言い換えればX円と商品を交換する。
この場合、市場からX円の商品が失われたわけだから、企業はそれを補充するべく商品を生産する。このとき、買われた商品の需要が増大すると見做せば、企業は価格を引き上げる公算が大である。このとき物価上昇が起こる。
(2)A氏に十分な需要がない場合。言い換えれば貨幣はあるが欲望が無い場合。
A氏はお店へ行っても商品は購入しない。またはそもそもお店へ行かない。するとX円と商品の交換は行われない。市場の商品量に変化はない。
企業は需要の増大は起こらないとみなし、価格は据え置かれる(あるいは引き下げられる可能性もあるが、ここでは取り扱わない)。したがって物価上昇は起こらず、A氏はX円分貯蓄したに過ぎない。またこの経済圏全体ではX円分の貨幣量が増えただけにとどまる。
(ただしこのX円の増加分が投機に向かい、経済危機を起こすことが考えられる。それについては稿を改めて論じる。)
このことは、需給均等式(註2)が静的な状態のみならず、インフレのような動的な状態においても成立していることを示している。
国債発行による資金調達はこの一例である。国債とはいわば政府の欲望を充足させるために貨幣を調達することであり、需要を形成する。銀行などによる信用創造もこれに類するもので、貨幣が借り手に渡った時点で需要が形成される。供給量がそれに見合った分だけ増えなければその分インフレになる。ケインズの有効需要理論に基づく財政出動政策によるクリーピングインフレとして現実化した。もちろん形成された需要が供給を下回ればインフレにはならない。
ハイパーインフレとは何か――単なる「激しいインフレ」ではない――
岩村充が指摘するように(註3)、戦間期ドイツの破滅的インフレに象徴されるインフレは単なる需給バランスの変化では説明がつかないような変化がある。これは貨幣の機能の一つである価値保蔵手段としての機能(註4)が破壊され、時間の経過とともに減価することが確定したために起こるインフレである。したがって通常のインフレとは別に取り扱わねばならない。あらかじめ価値が変化することが確実であることが分かっていれば、そこに投機の余地が生じる。戦間期ドイツのハイパーインフレはこの実例である。(註5)
その意味で、例えばゲゼルのスタンプ付き貨幣(註6)のような試みは危険があるというべきであり、減価することが明らかな貨幣というものが受け入れられるのか、人々は貨幣よりその他の財を選好するのではないかなど、実行には十分な検討が必要である。
ここで、この価値保蔵機能が破壊されたインフレを減価インフレと定義する。上記の『新語辞典』中の為替インフレはこれにあたる。
減価インフレの原因として、貨幣の存在価値の基礎となる貨幣に対する信用の低下がある。(註7)貨幣の信用が失われれば家計は自らのストックを貨幣でなく財で持つことを選好する。この結果財の買いが増加し需要を形成する。
減価インフレの性質
一般的なインフレと減価インフレの違いは、物価指数に「直ちに、全体的に」影響するか否かである。
一般的なインフレであれば、まず需要に対して供給が不足している財の価格が上昇し、それが関連財に波及するという形態をとる。したがってその上昇の様子は一様ではなく、また相応した時間がかかる。これに対して減価インフレの場合は、対象貨幣価値そのものの低下によって相対的に財一般の価格が上がり、また減価した分だけ直ちに反映される。
従って、減価インフレの方がより破滅的な影響があるといえる。
中央銀行の国債買取のインフレ効果について
中央銀行が国債買取を決定するとしよう。つまり今まで政府が市中銀行その他に買ってもらっていた分を中央銀行に買ってもらうとしよう。これは言い換えれば市中銀行そのほか民間において国債から信用貨幣への変換が進むということである。最終的には民間が保持する国債が無くなり、その分信用貨幣の保持が増える。この貨幣の使い方によってインフレが進むか否か、またどのようにインフレが進むかが決まる。(註8)
ヘリコプターマネー効果(上記の思考実験を拡大したもの)
空からヘリで貨幣を撒くとしよう。それを手にした人に十分な欲望があればその分だけ需要が形成される。そうすればその分価格上昇の力が働く。
これを規模を限定して実行したのが「地域振興券」(註9)や麻生政権時の定額給付金である。相違点は、中央銀行の増発貨幣から家計へ移転したのではなく国家予算として計上して、そこから家計へ移転したということである。相違点は貨幣の絶対量が変化するか否かである。
・副作用
人々が困ったときは国が貨幣を支給してくれることを期待するようになる(モラル・ハザードの発生)→就労意欲の低下→失業率上昇、生産力減少→供給量減少による更なるインフレ化→輸入超過から信用貨幣増発によるインフレ傾向の確定(減価インフレ)→ハイパーインフレ
「ただ単に金を与える」経済政策は貨幣の信用を失わせる契機を与えることになり危険である。
やはり何らかの財の対価として、もしくは貨幣増発に対する何らかの大義名分−−例えば大規模な自然災害の被害に対する補償など――を付加して金を与えなければならない。ケインズが「穴を掘ってそれを埋めるだけの仕事でもいいから、政府が仕事を作ってやるべきだ」(註10)と言った意図はそこにもあったと思われる。信用創造による通貨の増発はその信用が正当なものである限り理にかなっている。なぜなら信用創造とは将来の経済成長の予測に基づきそれとの代償による貸し出しだからである。
故に、先のハイパーインフレに関する記述と併せ次の準定理が成り立つ。
ヘリコプターマネー準定理 対価なしに貨幣を与えると貨幣の価値保蔵機能を失わせる
金本位制とインフレ、デフレの関係
金本位制において中央銀行の金準備量が変化せず、家計の欲望が常に存在するとすると、財の量の増減によってインフレになるかデフレになるかが決まる。すなわちGDPが増加した場合はデフレになり、減少した場合はインフレになる。実際ビクトリア朝イギリスではGDPが4倍に成長し、デフレ傾向にあったという(註11)。
歴史的役割を終えた貨幣数量説
貨幣数量説は貨幣量を調節すれば物価を調節できるとする説である。これは需要を構成する二つの要素のうち欲望が無条件にあるとされる経済圏では妥当する。事実歴史的にはこの説は妥当してきたといえる面もある。しかし現代は特にストックの蓄積が進んだ先進国において、無条件に欲望が存在するとは言えない時代である。歴史的事実についても、例えば価格革命においてすでに貨幣数量説的解釈ができなくなっているようにもはや完全に過去のものとなった。(註12)従って今後、物価やインフレを論じるためには需要の二要素である貨幣量と欲望の両方を考えなければならない。
スタグフレーションとは何か
スタグフレーションとは「高い失業率と高いインフレ率の共存」(註13)を意味する。
この用語の基礎的な理解としては以下の通り。
『岩波 現代経済学事典』に以下の記述がある。
「73年10月と78年12月の2度にわたるアラブ産油国の石油供給制限によって(中略)、原油価格が当初4倍、2度を合計すると10倍に暴騰し、先進工業国が戦後最大の不況に陥るのと同時に、この原油価格に適応する価格変化が物価上昇となって現れたのである。」(註14)
これはスタグフレーションの一例であるが、原油価格に適応する価格変化とはまさに需要増であり、インフレに該当する。
その原因としては、国民が十分に余剰貨幣を持っていたために失業率が高い状況下でも需要を維持できたことであると推測される。この推測が正しければ、スタグフレーションとは「失業しても生活していける社会保障が充実している社会のみに現れる特別なインフレーション」といえる。
ニ、インフレーション対策
この項ではインフレを鎮静化させ、物価を安定させるための方法を考察する。それ以外の問題、例えばインフレの鎮静化に伴う失業などの問題については扱わない。
前項で明らかなように、インフレは需要に対する供給の不足によって起こる。したがって、インフレ状態にある経済圏では、需要の供給に対する超過が持続している。
この状態から脱するには、需要の増大自体を止めるか、需要に見合った商品量の供給を行う必要がある。
ここで一つ問題が発生する。そもそも需要と供給を操作することはできるのであろうか。
まず需要であるが、すでにみたとおり需要とは欲望とそれを満たすことのできる貨幣の結合である。このうち欲望を、少なくとも直接操作することはできない。広告などで間接的に刺激することのみ可能である。貨幣については、増加方向については金融機関の融資その他によって(これを中央銀行が行うことをインフレターゲットInflation Targetingと呼ぶ)、減少方向については税金などによって、操作可能であるといえる。
供給についてはどうだろうか。減少方向については価格の下落によって供給減へと誘導する力が働く。増加方向については、財を供給する企業その他の生産活動の活発化によって供給量を増加させることで操作可能である。具体的には金利の引き下げによって借金をし易くし、カネを設備投資に回させるといったことである。
ここまでは一般論を述べてきたが、対策の実際としてはインフレの原因となっている要素を取り除くことが必要であり、その原因は例えば先に述べた『新語辞典』のインフレの定義による通り千差万別である。あらゆる原因に通用する一般的具体的なインフレの対策というものは存在しない。従って適切な対策を打たなければインフレは収束しない。
例の一つとして、2022年2月にアメリカで進行していたインフレは、商品の生産力は十分であるにもかかわらず物流が滞って商品が消費者に届かない、すなわち供給が増えないことから起こっている。この場合利上げをしてもその効果は薄い。物流を正常化させることが第一である。
また、実際のインフレの原因となりやすいのがエネルギーと食料であるといわれる。したがってこれらに関して十分な代替財を常日頃確保しておくことは重要である。
いずれにしても、インフレ(デフレ)対策として最も重要な事はインフレ(デフレ)の原因を正確に把握し、その原因となっている要素を除去することである。
先に見たインフレから脱する二つの途のうち、後者は商品生産力が十分に大きい成熟した経済圏でのみ使える方法である。現実にはインフレ状態に入った国は供給力が十分でない国が多い。したがって多くの場合需要のほうを制限する方法が採られる。
もう一つの方策としては、政府が市場における取引を制限することがある。言い換えれば貨幣と商品の交換を制限することである。具体例としては「お一人様何個まで」という売買ルールを全商品にわたって適用するなど。
(1)終戦直後の日本の場合
終戦直後の日本における激しいインフレにおいては需要を抑える方法が採られた。具体的には駐日公使ジョセフ・ドッジによるマネーサプライ制限策(註15)と旧円から新円へ切り替える際一定割合を破棄させるといった貨幣量を抑える方法である。これによりインフレは緩和されたが、一方で多額の建設国債を発行するなど不徹底であり、結局1948年に入り供給が回復するまでインフレは収束しなかった。(註16)明治14年の松方デフレ政策もこれに類する方法といえよう。
要約:<原因>物資不足による供給の不足
<対策>貨幣量を減らし需要を減少させた
(2)戦間期のドイツの場合
戦間期ドイツにおけるハイパー・インフレは巨額の賠償金の支払いにより強制的に需要が形成されたこと、フランスのルール工業地帯占領により供給が減少したこと、際限のない国債発行により信用通貨を増発し続けたこと(つまり需要の上乗せ)(註17)、そして外国為替取引の信用買いを利用した投機による減価インフレにより起こった。
対策として予めマネーサプライに上限を設けたレンテンマルクの発行が挙げられる。
蛇足だが、これは単なる新通貨への切り替えではない。貨幣に対する信頼が失われている情況で単純に無制限に発行できる信用通貨を登場させても効果はない。もちろんデノミのような小手先の策など全く無意味である。また信用通貨でなく本位貨幣を発行したことも貨幣の信用面を補強する要素になった。
需要面ではドーズ案などの需要減少策が実行された。また併せて一定期間全ての融資を禁止したことにより信用買いによる投機を防止した。さらにドーズ案の中には賠償金の支払いをマルク建てとするという為替安定策が盛り込まれており、これにより外国為替相場は安定した。(註18)
要約:<原因>需要の増大と減価インフレ
<対策>需要減少策と減価インフレの恐れをなくした通貨への切り替え
(3)ジンバブエの場合――失敗例――
ジンバブエは生産力の激減による供給減と信用通貨の増発による需要増というまさに「教科書通り」のインフレの条件を満たすことでハイパーインフレに突入した。
2009年に外貨を法定通貨としたが、外貨がないので貨幣経済自体が崩壊した。(註19)
要約:<原因>需要増と供給減
<対策>外貨を法定通貨とした←間違い
古くは元末の交鈔の乱発などもこの例に当たる。平安時代末期の大凶作によるインフレは生活必需品である食料の供給が激減したことにより起こった。(註20)また2009年11月に北朝鮮で実施されたデノミの際旧通貨の大半が新通貨に交換できなかった。その結果さらにインフレが高進した。この場合、通貨が減少するだけならばデフレになる筈であるが、このデノミによって通貨に対する信頼も失われたため減価インフレになった。(註21)
このようにみてくると、インフレ収束の条件、いやそれ以前に物価の安定に欠かせない条件として供給の安定があげられる。上記の需要制限策は他に方法がない場合に最終的に採らざるを得ない方法であるが、「痛み」も大きい。結局、財の生産を安定させないと本当の意味でインフレを防ぐことはできない。また、減価インフレを起こさないような仕組みを構築することは現在の管理通貨制度にとって特に重要である。
<参考>日本の場合、国民生活安定緊急措置法によって標準価格を定める方法もある。供給量が十分であるのに一部業者の買占めなどによって価格が上がる場合には有効であると思われる。実例としてはバブル経済時の地価(と株価)の異常な上昇。
三、ギリシャ発インフレ
ギリシャは消費性向が非常に高い国である(つまり欲望がある)。金があればあるだけ使ってしまう。こういう国が経済危機に陥った際、救済のための融資(ここでは事実上の無償援助とする)を行うとどうなるか?
ギリシャ国民が金を手にする、するとその金で商品を買う。つまりギリシャ国民によって需要が形成される。ここでその需要に見合った分だけ供給が増えないとすれば、その差だけ価格が上がる。この価格上昇が持続的に起こればインフレである。
つまりギリシャを救済しようとすればするほどインフレが進行するということである。
対策
インフレ対策としては次の通り。一つはギリシャ破綻もやむなし(つまり今までの融資分が不良債権となることを受け入れる)として融資を停止する。
もう一つはギリシャを経済的にEUの管理下に置き、現在の政府機能のうち経済に関する機能を停止して何らかの形でギリシャ国内の消費活動を抑える。
三つ目としてはユーロ圏から離脱させ、新たに通貨発行額に上限を設けた通貨を流通させる。(つまりこれはレンテンマルクの応用である)
四、アメリカの場合
アメリカは長期にわたって巨額の貿易赤字を出している。しかもアメリカ政府は国債の発行で赤字分を補填しているようだ。これはまさに供給不足を輸入増で賄い、貨幣の不足分を信用貨幣の増発でまかなうというインフレ傾向の確定の条件を満たすものである。ところが現在、アメリカにそのような兆候は見られない。これは何故なのだろうか。
ここで問題を分かりやすくするために日米の二国間のみの関係を考えたモデルで説明しよう。
日米間の輸出入バランスが日本の輸出超過に振れ続けていれば、何もしなければ円高ドル安が進行する。
ここでそれを防いでいるのが財務省・日銀の米国債購入である。つまり輸入超過によるドル安分に見合うだけの円売りドル買い介入によって均衡させているのである。
いわば、日本を始めとした諸外国がアメリカを買い支えているという構図になっていると考えられる。
この均衡が崩れたのが、投機筋の協調介入による初の1ドル79円台突入や、2011年震災時の保険金支払いに備えた保険会社の円買いである。
五、外国為替相場と絡んだインフレの進行メカニズム
ここで異なる通貨圏同士の貿易によるインフレのメカニズムを見ておこう。日米の二国間貿易を日本側から見た場合の例。
需要過剰、供給不足→輸入による供給不足の解消→USドル決済の場合ドル買い→ドル高円安
ここで国債などの発行により信用通貨を増やして決済資金の準備に充てればそれだけインフレ進行、以後輸出入のバランスが均衡するまで続く。
教訓:国内の生産力を落とすことはインフレの原因になる。
実例:戦間期ドイツ、終戦前後の日本など
六、デフレ対策
デフレ対策としては、需要を増大させるか、供給を減少させるかだが、企業の競争下にある経済では供給を減少させるのは難しい。したがって需要の増大が問題になる。
ここで注意すべきは、金融緩和はそれ自体は需要の増大に直接は結びつかないということである。これは「政策効果の非対称性」と言い換えてもよい。(註22)需要の鍵を握っているのはあくまでも最終消費者の動向である。金融緩和したところで最終消費者が借金してまで財を購入することはそれほど期待できない。住宅の購入などがその数少ない例になるだろう。(言うまでもないことだが、このとき審査まで甘くすればサブプライム問題のようなより深刻な問題を引き起こす。)したがって金融緩和の需要増大の効果は限定的と考えるべきである。そもそも貨幣を供給しやすくするのは需要の一方の要素でしかなく、もう一方の欲望は他の方法で刺激するしかない。いくら「異次元の規模」で金融緩和を実行しようと、この構造は変わらない。
このように、デフレに関してはインフレに比べて打つ手が限られており、脱却は結局国民が手持ちの財を消費して需要が回復するのを待つという消極的な方法にならざるを得ない。
とはいえ全く対策がないわけでもない。一つは国民が安心して金を使える環境を作ることである。雇用の安定、減税や労働時間の短縮などがそれに当たる。
重要なポイントになるのが格差社会を作らないということである。余剰金を大量に持つ富裕層は貨幣はあるがそれに見合う欲望がない。余剰金を持たない貧困層は欲望はあるが貨幣がない。(註23)需要を直接押し上げる力を持っているのが貨幣と欲望を併せ持つ中間層である。これは経済厚生の指標の2に該当する。(註24)
特に貧困層の増大は、品質を問わずとにかく価格の安い商品を買うという購買行動の強化に繋がる。結果ますます物価を引き下げる。岩村充『貨幣進化論』の中の「別の力」(註25)とは、完全競争と経済格差の拡大という二つの力の合力だと思うが、現在の自由主義経済では完全競争をなくすことは不可能であり、従って格差社会をなくすことに注力せざるを得ないだろう。
富裕層の貨幣を吐き出させることは中間層を増やすために有効である。一例としては超高級モデルの商品を超高値の価格設定で売り、富裕税のような税金をかける。1台10億円のスポーツカーに100パーセントの税金をかけて税込み20億円で売るなど。
長期的には人口の増加により需要を増やすという手段は考えられる。但しこれも移民などの安易な方法に頼った場合、宗教や生活習慣その他の違いによる民族対立などの経済以外の局面でのより面倒な問題を引き起こす。(註26)フランスなどの例を参照し他山の石とされたい。
「価値に見合った値段で買う」社会的合意の形成は重要である。安いものは悪質・危険であるといった意識の浸透は健全な経済を構築していく上で欠かせないものであり、デフレ解消の必要条件になるだろう。
結局デフレの何が問題かというと、本来受け取るべき貨幣量が受け取れなくなり、生活が成り立たなくなる国民が発生することである。この意味で実はインフレ(特にハイパーインフレ)と同じ効果を持っている。(註27)
七、現象の解析、再解釈
上記の理論を基にして現実の物価変動を解析してみよう。『経済学と現代社会』47頁の図2による。(註28)
マネーサプライと消費者物価の変動がシンクロしているところは特に問題はない。問題は二つの要素がシンクロしないところである。
1957−59年はマネーサプライが伸びているにもかかわらず物価の伸びは抑えられている。これは需要の一方の要素である欲望がなかったために需要が形成できなかったか、あるいは供給した資金が欲望を持った消費者に届かなかったからであろう。1970−72年、1977−78年、1980−81年も同様であろう。
一方、1972−74年はマネーサプライの伸びが減少しているにもかかわらず物価はそれを上回る上昇をみせた。これは需要の伸びに供給が追いついていないことを示すものである。資金の不足分は貯蓄から引き出すなどが考えられる。1979−80年も同様であろう。その後1975年まではこの関係が逆転している。ここは貯めこんだ財の消費期間、あるいは物価の上昇を嫌った消費者が節約した期間と考えられる。その分需要が落ち込んだ。
『日本経済事典』99頁に以下の記述がある。
「中央政府は先にも述べたように投資超過によって財政赤字を拡大させた。しかしこれが大きなインフレ効果もデフレ効果も生まなかったのは、民間部門の貯蓄超過を政府が国債発行による公共投資で吸収したためである。」
この記述は誤りとはいえないまでも、本質ではない。要は需給バランスがとれていたということであり、「第1次石油ショック以降、家計が消費を抑制し」(註29)たことによる需要減が要因である。
註
(1)島村高嘉、中島真志『金融読本(第30版)』東洋経済新報社、2017年、18頁。
(2)池田一新『混合体制の経済学』白桃書房、1976年、74頁。
(3)岩村充『貨幣進化論』新潮社、2010年、144頁参照。
(4)『経済学大辞典T』788頁。
(5)武田知弘『ヒトラーとケインズ』祥伝社、2010年、80−81頁。
(6)岩村、前掲書、88頁。
(7)同上、193頁。
(8)同上、230−232頁参照。次のヘリコプターマネー効果についても同様。
(9)同上、232−234頁。
(10)武田、前掲書、181頁。
(11)岩村、前掲書、128頁及び『週間エコノミスト』2014年5月6日・13日合併号、30頁。
(12)『経済学大辞典V(第2版)』東洋経済新報社、1980年、38頁、57頁。
(13)池田、前掲書、327頁。
(14)伊藤光晴編『岩波 現代経済学事典』岩波書店、2004年。
(15)『経済学大辞典V』241頁。
(16)『日本経済事典』75頁。
(17)武田、前掲書、37−38頁。
(18)同上、48−50頁、81頁。
(19)平野克己「通貨破壊から一転カネ不足に」『週間エコノミスト』2014年5月6日・13日合併号、41頁。
(20)山田真哉『経営者・平清盛の失敗』講談社、2011年、168−169頁。
(21)同上、86−87頁参照。
(22)島村高嘉/中島真志『金融読本(第30版)』東洋経済新報社、2017年、227頁。また、併せて『経済学大辞典T』792頁も参照されたい。
(23)武田、前掲書、185頁。
(24)池田、前掲書、1頁。
(25)岩村、前掲書、276頁。
(26)『経済学大辞典T』9頁参照。
(27)『日本経済事典』221頁参照。
(28)山田喜志夫、横尾邦夫、小越洋之助、紺井博則『新版 経済学と現代社会』梓出版社、1992年、47頁。
(29)『日本経済事典』99頁。
参考文献
西尾実、岩淵悦太郎、水谷静夫編『岩波国語辞典 第3版』岩波書店、1979年。
日本経済新聞社編『2008年版経済新語辞典』日本経済新聞出版社、2007年。
戻る