現在の経済学ではさまざまな概念の定義が確立されていないまま、種種雑多な概念を混乱したまま使用している。自然科学では到底許されないことであり、これが原因で自然科学に比べて全体の進歩が極めて緩慢である。ここでは用語の定義を確定していくことにより無意味な概念の使用を省くことに資するものである。


1.需要

 まずいくつかの辞典の定義を見てみよう。

『有斐閣 経済辞典(第4版)』
需要 demand
 ある時期における、ある財・サービスを人々が購入しようとする欲求で、購買力に裏づけられたものをいう。経済学の概念としては、需要は需要曲線・需要関数と同義語であり、市場価格と需要量との関係自体をさす。


『岩波国語辞典 第3版』
需要 商品に対する(購買力の裏づけのある)欲望

『明鏡国語辞典 第二版』
需要 (1)あるものを必要として求めること。
   (2)消費・生産のために、購買力のある人や企業が市場から商品を買い求めようとする欲望。また、その商品の総量。

 ここで直ちに問題になってくるのが「購買力」purchasing powerという用語である。筆者の調べた範囲では「購買力」を定義している辞典は『明鏡国語辞典』のみであった。それによると、
購買力 (1)商品やサービスを買うことのできる財力。
    (2)一単位の貨幣が各種の財やサービスを購入することのできる能力。貨幣価値。
 であるが、この意味を上記の「需要」に適用するときには単に貨幣量としたほうが意味がはっきりする。
 さまざまな文献に見出されるこの用語は、貨幣量かあるいはまさに需要そのものを意味する言葉として使われているようである。この場合他の用語で代替できるものであり、この用語の使用は無用な混乱を生じさせるだけである。「購買力」という単語の使用には注意を要する。

 需要とは、貨幣経済においては所有している貨幣を商品と交換しようとする力のことである。ここでは欲望とそれを充足するに足る貨幣の結合と定義しておこう。
 このように、需要を構成する二つの要素を認識することによって、今まで個別に論じてきた経済学の諸問題を統一的に扱うことができるようになる。
「需要」という用語に内包される、欲望と貨幣という二つの要素の分離をしっかり認識しておくことこそ、次代の経済学に必要な最重要点になる。
 ところで、これを数学的に表現するとどうなるだろうか。あまり正確な表現ではないが、現実の需要とは「その財を買う能力があり、且つその財を欲している人数」のことだから、近似的には次のようになる。
 需要D=M∧W
 ここで、Mはある商品を購入するに足る貨幣を持つ人数、Wはその内購入する欲望を持つ人数である。∧は論理積を表している。



2.財と通貨

 財とは、使用価値すなわち効用を持ち、バーター経済においては交換価値も持ちうるもの。

 通貨とは、交換価値を持ち、それ自体に内在する素材価値によって財にもなるもの。金や銀、戦国時代の中国における刀銭・環銭・布銭・蟻鼻銭といった青銅の貨幣や宋銭など。
 本位貨幣とは、「本位金属を鋳貨として流通させ」(註1)た貨幣である。本来は信用通貨であるものに財や他の通貨との交換を保証することによって通貨と同じ機能を持たせたもの。金本位制・銀本位制が代表的で、特殊なものとしてはレンテンマルクのように金属ではなく土地を貨幣量尺度単位とした、いわば土地本位制というものもある。
 本位貨幣が持つ原理的な欠陥は、「鋳貨が流通過程で摩滅によって減価すること、ならびに鋳造過程での量目誤差が生じること」(註2)の二つである。つまり、貨幣の価値保蔵の機能を無条件に保証できないということである。

 信用通貨とは、交換価値のみを持ち法的強制通用力や慣習的通用力を持って流通しているもの。法的強制通用力の存在条件は当然のことながら法治国家であることである。(法学に接続)本位貨幣との重要な相違点は、価値尺度の機能の根拠を物質(金属)に置くか法的概念または慣習的観念に置くかである。

 金本位制が廃止に追い込まれた原因は交換を保証できなくなるほど通貨量がその国の保有金量を上回ったことである。戦争時にその国家の財政から考えて支払い能力を超えた多額の通貨が必要になった場合などに見られる。
 改めてここで金本位制とは何かを考えてみると、それは金と紙幣を固定された一定の比率で交換できる制度のことである。ということは、金と紙幣の量が変化してしまうとそれが成り立たなくなってしまうということである。
 ここで、金1グラムと1円が交換可能としよう。国は100グラムの金を保有しており、それに対して中央銀行により100円の紙幣が発行されているとする。ここで国が新たに10円の国債を発行し、それを中央銀行が10円の紙幣を新たに発行してそれを買い取ったとする。利息はないものとする。償還期限が来た時点で中央銀行は110円を保持している。
 もしここで中央銀行が110円をすべて金に交換することを要求した場合、当然のことながら交換不能となり金本位制は崩壊する。
 通貨量はほぼ無限に増やすことが可能だが、金量は有限である。経済活動が活発化し、従ってGDPなどによって定量的に表される産出量が増加し通貨量が増えていけば金本位制が早晩廃止されるのは容易に予想できることであった。


 3.価格

 価格Pを疑似的に数学的に表せば次のようになるであろう。
 P=D/S・p
  =((M∧W)/S)・p

 ここでDとは先に見た需要であり、下行で展開したとおりである。Sは問題になっている財の供給量である。pはその財の価格定数とでも言うべきものである。

 ここで、トマトの価格を考える。このトマトのpは100円とし、購入するに十分な貨幣を持つ人が200人、その内欲望を持つ人が100人、供給量Sは50個であるとする。
 式よりP=((200∧100)/50)・100
     =200円


 もちろん実際はこれほど単純には行かないが、これでおおよその傾向は掴めるであろう。




 4.景気

 景気とは、西尾実、岩淵悦太郎、水谷静夫編『岩波国語辞典 第3版』岩波書店、1979年。によると、


景気 @売買・取引などに表れた経済活動の情況。「――変動」「不――」。特に、経済活動が活発で、金回りがよいこと。好景気。「大変な――だ」    A活動状態や威勢。「――をつける」    Bありさま。けはい。
 である。
 ここでは@が妥当であろう。もう少し一般的に言えば、経済活動の量、すなわち財や貨幣の取引の量(出来高)である。ただし、普通に「景気が良い」という場合、出来高が多いことに加えて利益も多いことを普通指す。
 このような景気の源泉は需要に求められる。つまり、景気とは需要にほかならない。とすれば、術語としては景気という用語は使わずにすべて需要で統一すべきである。




 5.経済

『岩波 現代経済学事典』(以下『岩波』)によると、「経済」とは「物質的財貨の生産・分配・消費の過程と、それに伴って生ずる人間の社会的関係を経済と」言う。さらに、「economyの語源は(中略)家計、家政に由来し、経済なる語は中国の古典の経世済民(中略)に基づく」。
 そして、「ともに、物を節約するという意味をもっているが、それは貧しかった時代には、家計にとっても、経世済民にとっても、浪費をつつしむことが基本であったためである」。「だが近代になると、いかにして、生産を増し、物質的基礎を拡大するかに経済の重点が移った」。つまり、近代にいたって経済という語の定義が決定的に変化したということである。
 かつては経済とは節約と同義であるといってよかった。その理由は、財の大量生産ができなかった、つまり供給が十分に増やせなかったために節約、つまり需要を制限することでしか経済を安定させる方法がなかったためである。ところが現代は財の大量生産ができ、需要を上回る供給が可能な時代に入っている。
 今後、供給が需要に見合うほど増やせない時代が来た時、経済の語義は再び節約の意味を帯びることになるだろう。





 大塚久雄は経済を「社会全体の物質的新陳代謝」(註3)と定義している。これは経済を機能面からみた場合の定義といって良いだろう。












 6.経済主体

『岩波』によると、経済主体とは「経済活動を行う基本的単位.目的意識によって異なる分類をする.(中略)マクロ経済学の登場によって経済循環を考えるようになると、生産要素を購入し、生産活動を営む企業、企業に労働力を提供し、企業の生産物を購入して生計を営む家計、さらに政府の3つを経済主体とする分類が登場した.」ここではこのマクロ経済学の定義を採用する。




 7.準定理

 経済学では数学のように完全に証明された定理を成立させるのは極めて難しい。しかし、一方で完全に証明されてはいないものの真であることが十分に期待できる命題も存在する。そのような命題を準定理と定義する。
 準定理が完全に証明されれば、当然のことながらそれは定理へ移行する。



















(1)『経済学大辞典T』799頁。
(2)同上、799頁。
(3)大塚久雄『社会科学の方法』岩波書店、1966年、13頁。





参考文献

西尾実、岩淵悦太郎、水谷静夫編『岩波国語辞典 第3版』岩波書店、1979年。
金森久雄、荒憲治郎、森口親司『有斐閣 経済辞典(第4版)』有斐閣、2002年。
北原保雄編『明鏡国語辞典 第二版』大修館書店、2010年。


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