「どうだい、初めてのオペラの感想は?」
「うん、思ってたよりずっとおもしろかった」
「食わず嫌いは損をするって、よくわかったろう?」
「うん、ただ、字幕も見ながら舞台も見なくちゃいけないから、大変だよ。気を抜けば字幕を見逃しちゃうし」
「字幕ばかりに気を取られていると、舞台が進んでるし・・・か?それは仕方ないな。どうしても100パーセント味わいたかったら、原語を勉強するか、日本語で上演しているところを探すかだな。あとはCDと対訳で『予習』するしかないな」
「ただ、・・・・何というか、オペラそのものに対する違和感と言えばいいのかな、・・・なんか違うというのは消えないな」
「言いたいことは分かるよ。貴族の道楽みたいな感じだろ?音楽だけだったら割と気軽に聴くことができるから、それと比べると日常的に楽しむってわけにはいかないもんな」
「いくら何でも時間とお金がかかりすぎって気がするんだよなあ」
「鑑賞性がどうしても悪くなるよな。普通の人なら数年に1回でも多い感じじゃないの?でもまあ、俺たち音楽人ならたまには観といた方が良いと思うな」


 午後八時をまわった学内の大ホール。
 日藝大大学院主催のオペラの終演後、ホール入り口近くに古戸と瑠非違使は立っていた。
 誰かが激しい勢いで近づいてくる気配がした。
「こんにちは!」
「あ・・・ええ、こんにちは」
 むしろ、もう「こんばんは」という時間帯ではないのか、と思いながら、その声の主を視認した。
「古戸さんも、観に来てらしたんですか?」こちらをまっすぐに見つめてくる、その潤んで艶やかな輝きを放つ瞳。予期せぬ幸運に出会ったような、上気した表情が印象的だ。
「ええ・・・はい」

 数メートル先に、半ばあっけにとられたような表情の倉石が立っていた。


「ずいぶんあわててたというか、急いでたというか、いったいどうしたんだろう、彼女は」
「・・・・」
「ははあ、わかったぞ。君のことが好きなんだよ、彼女」
「また、何か証拠があるのか」
「でも、彼女は倉石さんとできてるって話を聞いてるけどな。練習でもあの二人、いつも一緒にいるらしいじゃないか」



 落ち着いたこの雰囲気は、嫌いじゃない。
 次のテーマがチャイコフスキーに決まった、秋霖の最中。
 SPOCAで雨が降る様子を眺めながら。
「このテ・ポチとかいうのも当たりだ。このバニラの香りがいいね。・・・味はまあ、癖があるというか、あまり美味しくはないかな。当たりというのは言い過ぎだったか」
「このトックス・ティーってのもすごく香りがいいよ。味は普通だね」

「チャイコフスキーといえば、甘ったるいっていうイメージがあるよな」
 チャイコフスキーに対する、瑠非違使のごく常識的な、つまりは大して深くもない感想。
「君の指揮ぶりとチャイコフスキーは合わない気もするけど、どうするの?」
「こないだのワーグナーのオペラで、ちょっとヒントめいたものを掴んだから、やってみるよ」
「ワーグナーとチャイコフスキー?どういう関連があるんだ」
「関連というか、ただの思いつきだけどね」
「ふーん・・・で、何やるの?『第5』とか?」
「『悲愴』」
「ああ、…まあ君らしいというか」

 チャイコフスキーの最後の交響曲、第6番「悲愴」。1893年10月にチャイコフスキー自身が指揮して初演。その数週間後に、彼はその生涯を閉じた。
 この曲の一番の特徴は、その副題のとおり、きわめて陰鬱に終わるということだ。こんな終わり方をする曲は非常に稀で、終演後の拍手がためらわれるほどだ。実際拍手なしで終わった例もある。
 もうひとつ、第3楽章が異様に派手な響きなのも注目に値する。しかもそれがどこか虚勢を張っているようにも聞こえる。実は作曲当時、チャイコフスキーは躁鬱を繰り返していて、楽章ごとにそれが反映されているのではないか、とも考えたくなる。
 さしあたりそれは措いて、今回のポイントはこの第3楽章だ。これらのもっともらしい解釈に沿った演奏が真実の姿かもしれないが、あえて別な路を開拓してみよう。

 第一楽章、Adagio(遅い楽章)。コントラバスとファゴットによる不気味な開始。ヴィオラがかぶせる。オーボエ、クラリネット、ホルンが入ってヴィオラが下降していき、ritenuto(急に速度を緩めて)。デクレッシェンドでピアニッシモになるが、あまり意識する必要はない。ピアノぐらいで十分だ。
 Allegro non troppo(急速調だが控えめに)四分音符が一分間に116回、これでいいだろう。十六分音符がフルート、ヴィオラ、クラリネット、チェロと降りていく。第一ヴァイオリンにHalfte(半分)の指示、まいったな、なんでここでドイツ語なんだ・・・?チャイコフスキーとドイツとどう関係があるんだ。勉強不足でよくわからないが、半分の人数でということか?チェロにも同じ指示が出ている。ともかくdiv.(分奏で)のあとメロディーが動き出し、クレッシェンドしながら駆け上がっていくところはリタルダンド、頂点でフェルマータ。そして第一、第二ヴァイオリン、ヴィオラと駆け下りていく。コントラバスのフォルテシモは汚くならない程度に思い切り鳴らしてもらう。Saltandoとは何だろう、辞典にも載ってないぞ・・・ともかく弦楽器のスタッカートの旋律から木管への受け渡し、記号Bから細かい音符の連続になる。ホルンはespr.(表情に富む)、メゾピアノだがメゾフォルテで。
 木管のSolo(独奏)と弦楽器が交代しながら弾いていってUn poco animando(わずかに活発に)だが、明るくはならない。むしろ、金管が悲劇の始まりを告げる。テンポは下手に速くせず、今までと同じでいいだろう。フォルテシモで全パートが加わってきて、ヴァイオリンとヴィオラにdetache・・・これも辞典に載ってないな。とりあえず無視。Un poco piu animato(わずかにさらに活発な調子)だが今までと同じ。スコアにはフォルテ、メゾフォルテ、メゾピアノと並んでいるが、全パートゆるやかに減衰させていった方がいいかもしれない。ピッコロに対し(Flauto grande vorbereiten)(フルートに非常な準備をさせる)・・・?何だこりゃ、さっぱり意味がわからん。大体なんでイタリア語とドイツ語が混ざっているんだ、俺に対する嫌がらせか?まあいい。だんだん波がおさまっていって最後はヴィオラがアダージョで弾く。
 Andante(適度にゆるやかな)、ヴァイオリンとチェロの旋律は(teneramente,molto cantabile,con espansione)(柔らかい、非常に歌うように、愛情の吐露を含んで)。Incalzando・・・また載ってない単語が出てきたな・・・もういい、無視。美しい旋律を生かせるように、ゆっくりと。ritenuto(急に速度を緩めて)は、特に三拍目からをいっているのだろう。フェルマータをかける。come prima(前と同じように、これまで通り)。リテヌートも同じ。Moderato mosso(速めのモデラート)、フルート主体の旋律。クラリネットが加わると音楽の色彩が変わる。ヴァイオリンにsimile(同様の)の指示、これはその前のスタッカートとテヌートのことか。リテヌートで弦楽器に(alzate sordini)(弱音器を上げる)。
 Andante(適度にゆるやかな)、木管はpesante non stacc.(重苦しくスタッカートでない)、弦楽器はこれまでと同じ旋律をsenza sord.(弱音器なしで)弾く。Moderato assai(程よい速さで)落ち着いていき、ティンパニがsmorzando(徐々に遅く音を弱めて)トレモロ。rallentando(しだいに遅く、だんだん緩やかに)、そしてAdagio mosso(普通のアダージョよりも少し速めに)、クラリネットはdolce possibile(できるだけ甘く)。ritardando molto(過大に、だんだん緩やかに)、このあたりの強弱記号はちょっとやりすぎだ。ppppとか、最後はppppppまで出てくる。いくらなんでも、これは指示記号の範囲を超えている。聴く側からすればどうでもいいレベルじゃないか。pの数を半分にしても差し支えないだろう。
 Allegro vivo(激しい急速調)。一転して激しい地響き。八分音符が一分間に144回、これはこのとおりやるか、それとも遅めのテンポでいくか迷うところだが、ここは指示通り行くことにしよう。遅くするとこの楽章全体の構成を考え直さなければならなくなる。むしろ指示よりも速めがいいだろう。激しい序奏部が終わり、ヴァイオリンとヴィオラはferoce(荒々しい、凶暴な)で細かい音符の連続。管楽器の装飾、そして弦と木管の応答。フォルテシモ、フォルテシシモを経て金管の爆発、トランペットはmarcato(強調された)。おさまっていき、低弦にdiminuendo(次第に弱く)でテンポも徐々に遅く。
 金管が夜明けを告げてほっと一息と思いきや、まだ余震は続いている。長いクレッシェンドを経てようやく落ち着くが、それもわずかの間だけであった。三度全体でのクレッシェンド、フォルテシシモの爆発、弦と木管の激しいやり取り。さらに金管を中心とした激しい三連符、記号Qまで地鳴りと噴火が続く。災厄の後の悲惨、largamente forte possible(できる限り強音の、非常に遅いテンポで、表情豊かに)。ffffの前でフェルマータ、この誇張された記号もやりすぎだ。音の「大きさ」でなく「重さ」を表現すればいいのだから、ほどほどでいい。これ以降のこの類の記号も同じ。
 Andante come prima(これまでどおり適度に緩やかな)。「これまで」が激しすぎたと思うのだが、それは措いて、舞台はガラッと変わる。フルートとヴァイオリンはcon dolcezza(やさしく)で以前出てきた主題を弾く。要領も以前と同じでいい。旋律の持っている味を引き出すために、不用意に速いテンポにはしない。同じ旋律で、クラリネットのSolo(con tenerezza)(独奏(優美さ、やさしさを伴った))、ここは一定に近いテンポにする。animando(活発に)と書いてあるが、それほど意識しなくていい。ma espress.(だが表情豊かに)も同じ。今まで何回も使っている旋律だけに、サラッと吹いたほうがいい。リタルダンドをかけつつ、quasi Adagio(ほとんどアダージョで)。
 終結部。Andante mosso(速めのアンダンテ)、弦のピチカートに金管の旋律をのせる、ピアノだが実際はメゾピアノ。ただし柔らかさは失わずに。クレッシェンド、デクレッシェンドは気持ち程度。木管が引き継いだ後も同じ。morendo(しだいに音を弱めてピアニッシモに)、きわめて静かに終わる。

 第二楽章、Allegro con grazia(優美に、やさしく急速調で)。4分の5拍子のワルツだ。「くるみ割り人形」のような、チャイコフスキーお得意の童話的な音楽。チェロがメロディーを奏でる。2小節単位で流れるように弾いてもらう。木管にメロディーが渡され、リピート記号に到達するが戻らず次へ進む。この楽章においてはリピートはすべて無視する。弦楽器と木管が交代でメロディーを演奏していく。記号Cから金管が加わり、豪勢な雰囲気を出しつつ盛り上がっていく。最後はフルートが締める。
 短い間奏。con dolcezza e flebile(哀感を帯びたやさしさとともに)。Hで最初のメロディーの再現。あとは普通に最後まで進めていけばいい。
 この楽章では強弱記号の類はそれほど意識せず、メロディーと伴奏の面白さを前面に出す。そのかわり流れを損なわないように気をつける。

 さて、問題の楽章が来た。
 第三楽章、Allegro molto vivace(非常に速く、生き生きとした急速調)。これだ。このテンポではまったくだめだ。そうではなく、ワーグナーのごとき雄大さを出すために、ゆっくりと演奏するんだ。その代わり、スカスカにならないように一つ一つの音符をしっかり鳴らしてもらう。すべての音符にテヌートをつけるようなものだ。
 記号Z、ま、またドイツ語・・・。Die Becken durfen nicht gebunden sein(シンバルは拘束されずに存在することが許されている)。どういうことだ、鳴らしっぱなしにしておいてもいいということか?にしてもこんなにドイツ語が出てくるとは思わなかった。

 第四楽章、Adagio lamentoso(悲しみに沈んだ、哀れな、痛ましいアダージョ)。そのとおりの主題で始まる。が、なぜかチャイコフスキーは何とその主題を弦楽器の各パートに分散させ、一音ごとに交代で弾かせる。なぜこんな事をしたのだろう。こんな変に込み入った作曲法は、むしろ彼が嫌っていたブラームスの手法じゃないか・・・?おかげで、ここではポルタメント奏法が使えない。かわりのアイディアも浮かばないし、普通にやるしかなさそうだ。フルートとコントラバスはaffrettando(せかせて)。
 木管がその旋律を受けて、Adagio poco meno che prima(その前のテンポより少し遅いアダージョ)?どれほどの意味があるか知らないが、ここは指示通り少し遅くする。ファゴットが音を下降させていき、木管はcon espressione(感情をこめて)、トロンボーンがcon sentimento(感傷を伴って)でヴァイオリンの旋律を補強する。
 基本アダージョのテンポを大きく動かすことなく、沈鬱な音楽の味を引き出していく。
 終結部、Andante giusto(適切な、正確なアンダンテ)。普通の交響曲とはまったく違い、消え入るように終わる。

 練習日の前日、SPOCA。
「第4楽章の頭で、ポルタメントを効かせようと思ったんだけど、まさかメロディーが分散されているとはなぁ」チャイを飲みながら、古戸が呟いた。
「別に分散されてたっていいじゃん。何なら試してみようか?」下唇でティーカップについたお茶の滴を拭いながら、瑠非違使が返した。


「どうもはじめまして、大庭 祐一です。さっき電話で、大体のことは聞いたんで、早速試してみようか」古戸に挨拶しながら、その大庭なる男はパソコンを操作しだした。
「なんかいい匂いがするな」
「あ、今香を焚いてるんで・・・・」
「彼の趣味みたいなもんだ」瑠非違使が説明した。
「うーん、パソコンはよく分からないんだよな・・・」画面を覗き込みながら古戸が言った。
「思い通りにポルタメントをかけるのは、意外とDTM単体で実現するのは難しいんだ。でも、プラグインと組み合わせればいけると思う」マウスとキーボードを一緒に操作しながら大庭が言った。
「悲愴」の第4楽章の冒頭を打ち込んで、ポルタメントをかけて鳴らしてみた。
「・・・なんか間抜けな感じだな・・・」瑠非違使が言った。
「やっぱり駄目かぁ・・・」がっかりしながら古戸も言った。
「でもこれって、本当のポルタメントじゃないじゃん。何か出だしをちょっといじって誤魔化したって感じ」
「うん、音がちゃんと繋がってないね」
「えーと、そうだな・・・じゃあちょっと昔のMMLを引っ張り出してみるか」

「コマンドで直接打ち込んでいくのか・・・」
「記号の羅列みたいだけど、こんなんでちゃんと鳴るの?」
「まあごちゃごちゃ言わずに、見てろって」

「おー、これは凄い。少なくとも繋がりに関しては完璧」
「うん、さっきより全然良いね」
「これぐらいのことをやるんだったら、こっちの方が良かったか」
「でも、何か後半のところちょっとずれてない?」
「うーん、どっかミスったかな・・・・・・・あー駄目だ、肩が凝るわ。ちょっと休憩しよう、グアテマラ産のチョコレートでも飲むかい?」
「俺もなんか頭痛くなってきた」
「香も焚き直そう、次は・・・・」



「大体の感じは掴めたかな。ちょっとテンポがきっちりしすぎてるけど」
「それは仕方ないよ。そこまでやったら膨大なテンポ指定が必要になるからものすごく手間がかかる。ある程度楽器ができる人ならこんなコンピューターなんか使わずに自分で演奏したほうが早い」
「それにしても、こういうアプリケーションって、何でこんなにめんどくさいの?君は作曲学科だから、こんなの自由自在かもしれないけど」
「いや、俺も確かにそう思う。昔に比べて高性能になった分、使いこなすまですごく時間がかかる」
「俺みたいに何も知らなくても、すぐに使えるっていうのは、さすがに無いのかな」
「探せば見つかると思うけど、そういうのって大事な機能が抜けてたりして、意外と使えないもんなんだよね」
「初心者がすぐに音楽をやるっていう時代じゃないのかな、今は」
「さっき使ったMMLなんかはもう十数年前に廃れちゃったものだけど、要領を掴めば今の音楽アップよりも手軽にできるんだけどね」
「今のアップにも、それつけてくれればいいのに」
「コンピューターの世界も、全ての面で進歩してるってわけじゃないからね。こんな風に、かえって昔より悪くなってるとこもあるし。大体今のパソコンはアーキテクチャーが20年前のままなんだよ。例えれば築20年のボロアパートの上に超高層マンションを増築してるようなもんだ。だから動作が不安定になるんだよ。OSにしたって、こんな欠陥だらけのOSなんか本当は誰も使いたくないんだよ。もっと優秀なソフトなんかほかにいくらでもあるんだぜ?ディー・ファクトウ・スタンダードになっちゃったから仕方なく使ってるけど。タッチパネルとかふざけるなって感じ。こんな押したか押してないか分からないようなもの標準装備するなんて正気の沙汰とは思えないね。このマウスにしてもそう。世の中にマウスが登場して30年になるけど、この間全く進歩なし。強いて言えば機械式から光学式に変わったことぐらいか。いつまでこんな欠陥デバイス使わせるんだよ。クリックするときにポインタがずれる不便さに、なんで気づかないかなあ。マウスに手を置いただけでもポインタの位置が変わるんだから。細かい操作はマウスには向かないんだよ。一体型にしたおかげですごく使いづらい。ポインタの移動は左手、ボタンは右手って分けてくれよ。大体マウスなんて補助入力手段に過ぎないんだから、基本はキーボードで全部できるようにしておかないと駄目だね。マウスなんて要らないよ。勝手に項目を表示して見たいやつを隠しちゃうし、ちょっとポインタを動かしただけで勝手に項目が消えるしさ・・・あー本当にイライラする。キーボードにしても昔あったシリンドリカル・ステップスカルプチャータイプのものを復活させてもらわないと困る。あのカチカチと小気味良くキーインできる・・・」
「あー、もういいよ、そういうの。相変わらずだねえ、全く・・・」瑠非違使が遮った。
「あーごめん、また不満が・・・つまりだね、俺が言いたいのは、今のポインティングディヴァイス関連の技術は人からコンピュータへの方向に一方向的に発達してるってこと。例えば指を動かしても画面上にその効果が見えるだけで触覚として返ってこないでしょ?一応芸術家の端くれとしてはだね、アクションの結果が身体的な感覚として返ってこないと気持ち悪いわけだ。双方向的じゃないんだよ」
「確かにリアルに感覚が返ってこないと何か空振りしてるみたいでつらいよね」
「・・・こんなもんかね。まあ実際のオーケストラではもう少し感じが違うだろうから、後はそっちのほうで調整してみるしかないかな」


 次の日、見学していた柄谷が古戸に意見してきた。
「第三楽章の遅さはいったい何なんだい?あと第4楽章。どう考えても普通じゃないね」
「普通じゃないところに意味があるんだよ」
「奇をてらえばいいってもんじゃないだろう。才能がないやつに限って変わったことをやりたがる」
 古戸はむっとしたが、口に出してはこういっただけだった。
「どっちにしてもいまさら変えるわけにもいかない。あとはお客さんの判断にゆだねるよ」

 その、本番でのお客さんの反応はなんともいえないものだった。
 演奏が悪かったから拍手が小さかったのか、それともこういう曲だからなのか。
 とはいえ、この結果は半ば覚悟の上だった。古戸自身も今回の解釈に絶対の自信を持っていたわけではなく、実験的な意味合いが強かったからだ。

「賛否両論は相変わらずだけど、今回は多かったねえ、否定派が」
 アンケートの結果を読んで、瑠非違使が古戸に感想を漏らした。
「ある意味予想通り、だね」隣でアンケートの文面に目を通しながら古戸が答えた。
「この人なんか凄いよ。『チャイコフスキーは女々しいだけの音楽だと思っていないか?逆の音楽を作りたかったようだが、率直に言って、人生経験不足。チャイコフスキーの不安を表現できていない。君はまだチャイコフスキーが感じていたような不安を味わったことがないようだね』だってさ。今までで一番厳しい結果だね」
「チャイコフスキーは若いうちは難しい部類の音楽に入る。というか年をとってもよく分からないな。悲愴の第3楽章もそうだが、空元気の様な、明るさを取り繕うような音楽が唐突に挿入されている。なぜそんな音楽を入れたのか。悲愴ならば、後の第4楽章の悲惨さを際立たせるためというのがもっとも無難な解釈だが、果たしてそれが正解なのか。」今江の解説。
「確かにチャイコフスキーの、特に交響曲は難しいというか、あの助けをどこに求めていいかわからない不安な心理を描写した不安定な音楽、あれは実際にそういう心理状態を経験しないと分からないでしょうね。チャイコフスキーは何だか無駄な部分が多い、という感想になるでしょう。多分世の大半の人にとっては」目蹴部の補足。
「でも、数は少ないけど評価してくれてる人もいるよ。むしろそれが意外だ」
「『第3楽章の勇壮な響きは映画の進軍のシーンとかで流れそう』、みたいなね」
 目蹴部が、その場にいた全員に伝えるように言った。
「どうせ失敗するなら、学生のうちにやっておいたほうがいいぞ。『転んだあとの起き上がり方』を修得するのが学校だからね。実社会に出たら、おいそれと失敗できなくなるからな」

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