「さて、今日の紅茶はいかが?」
「SPOCA」にて。
「テ・メラって言うのかな、なかなか美味しいね。そっちは?」
「テ・カントン・ブンダー、でいいのかね・・・バニラ入りらしいけど、確かにそんな香りがするな・・・味はちょっといまいちだけど」
「ここのパンはそのままでも美味しいけど、このマカダミアナッツシロップをかけるとまた一段とおいしくなるね」
「このシロップだけだと別に美味しくもなんともないけど、パンとかケーキの味を引き立たせる効果があるね。混ぜ合わせることによって別の味わいを生み出す・・・」
「味覚の交響曲、って言いたいのかな?」
「ショスタコーヴィチか・・・曲者だな」
次のテーマがショスタコーヴィチと決まった時点で、古戸には選択の余地が残されていなかった。
「その時代の社会背景が作曲者のスタイルに影響した、最たる例だな」
彼ほど政治が音楽に与えた影響を感じさせる作曲家はいないだろうし、政治が個人の人格に及ぼした影響を考えさせる作曲家はいないだろう。もって生まれた気質もあるかもしれないが、当時のソ連政府の干渉によって、彼の中に、厭世的、あるいは人間や人生に対する無意味さを決定的なまでに確立させてしまったことは否定できないのではないだろうか。
「あれで、本来ショスタコーヴィチが作ろうとしていた音楽が、なきものにされてしまったと思うよ。共産党の圧力がなければ、あそこまで根性が曲がった曲は書かないだろう、いろいろな意味で」
「『第7』とか『第15』の一楽章とかか?共産党だけじゃなく、他からのバッシングも凄かったしな」
「伝統的な書法で書けば前衛団体からは非難され、それではと前衛的な書法で書けば今度は保守的な人から批判される・・・彼個人の才能に嫉妬していた人が相当、多かったんだと思うよ。『第1』を書いたのが二十歳の頃だっけ?普通そんな年であんな曲書けないよ。俺にも書けない。悔しいけど」
「そりゃ性格歪んじゃうよな。普通なら潰れちゃうよ。才能ある人を潰すには、とにかく何でもいいから批判の種をでっち上げて、叩いて叩いて叩きまくるのが一番効果的だからね」
「でも彼は潰れなかった。それだけでも敬服に値するよ。その代わりが音楽に来ちゃった感じがするけど」
「モーツァルトに『音楽の冗談』ていう作品があるけど、笑いとか皮肉とか、冗談を取り入れた作品を書かせたらショスタコーヴィチの右に出る作曲家はいないだろうね」
「そういう意味では『第9』なんか、ある意味究極だね。ショスタコーヴィチの芸術、ここに極まれり」
「『第9』に限らず彼の作品はどれも、皮相なものじゃなくて、無意識のレベルにまで入り込んだ、その作品にとって欠かせないような響きになってる。筋金入りだよ」
「でも、彼の残した言葉の中には、すごく感動的なものがあるんだ。今となってはどれが彼の本心なのかわからないものが多いけど、これだけは本心から出たものに違いない、というやつがね」
「下手なことをいえば命が危ないからな。生きた心地がしなかっただろうな」
「ある程度マナーを守るのは大事だと思うけど、好きにものがいえない社会っていうのは本当に窮屈だろうね」
「うちの爺さんだって、ソ連が楽園のようなところだったら、わざわざ日本まで逃げてこなかっただろうしね」一呼吸おいて、サバー・ティーの入ったカップを置きながら、瑠非違使が言った。
「え、どういうこと?」
「爺さんはもともとポーランドに住んでいたんだ。戦争中にソ連経由で日本に来たらしい」
「ふうん」
「で、どうすんの、やっぱり『第5』?」
ショスタコーヴィチは15の交響曲を書いている。
「うん、そういった政治や思想の話を抜きにしても、個人的に彼の一番の名作だと思う。ほかにも好きな曲はあるけど、初めて聴く人にとっては厳しいものばかりだし」
「あの曲も、根性が曲がっているといえば言えるか。ま、それすら純粋な芸術にまで引き上げてしまっているところは、もう天才というしかないな」
「そうそう、これ返すよ。ありがとう」といって古戸は一冊の本をバッグから取り出した。
「おー、ついにオーディオシステムの構築が完成したか?じゃあちょっと見せてもらいに行こうかな」
「・・・ちょっとこの部屋には大きすぎないか?」
「しょうがないだろう、写真入りで一番わかりやすかったし、設計図だけ載ってても俺には何がなんだか」
「ふーん・・・まあそれはともかく、何か聴かせてよ」
「・・・いやー、若い。音が若いねえ。体に音が突き刺さってくるようだ。さすが作りたてのスピーカーだけあるな。欲を言えばもっと大きい部屋で鳴らしてみたいね」
「しょうがないだろう」
「・・・あーでも、中音域に余計な響きが付いてるな。そのために音が濁ってる。低音も足りないし。これ多分、隙間から音が漏れてるよ。ボンドが何かで隙間塞いじゃえよ」
「あー後でね」
「でも、これでやっと環境が整ったね」
「今まで貯め込んできた資産を全部聴きなおしてやるよ」
「そうそう、君たちもそろそろアンコール用の曲を用意しておいたほうがいいだろうね」
指揮者ミーティングの席上で篠堀が皆に言った。
「中にはもう、ステージに呼び戻されたりしているものもいるようだし、そういうときには何か手土産があったほうがいいだろう」
ショスタコーヴィチの「第5」はオーソドックスな4楽章構成の交響曲だ。・・・・・・・見かけ上は。
ショスタコーヴィチという人は、どこまで意地が悪いんだろう。終楽章が、実は二つの楽章を合わせたものだと気づく人が一体どれだけいるだろうか!
第一楽章、Moderato(中ぐらいの速度で)弦楽器の不気味で、恐ろしい響きから始まる。ここは一つ一つの音をしっかり鳴らしてもらう。極北の地の寒さを描いたような響きがずっと続く。ピッコロ、次いで第一ヴァイオリンがmorendo(しだいに音を弱めてピアニッシモに)となり、ヴィオラがdiv.(分奏で)弾くところで経過句になり、低弦の伴奏でヴィオラの旋律、ここはテンポをきっちり守って。ヴァイオリンの妖しく冷たい響きはポルタメント。終わってピアノが入る。交響曲にピアノとは珍しいが、ショスタコーヴィチは「第一」で既にピアノを使っているので、彼にとってピアノを使うことはごく自然なことだったのだろう。una corda(一つの弦)、secco(素っ気ない)という珍しい指示。この箇所に限らず、この曲全体を通して弱くてもはっきり鳴らしてもらうことが必要だ。「寒さ」を表現する際のひとつのポイントになるだろう。トランペットが入るとpoco animando(わずかに活発に)になるが、一番簡単なのはテンポをわずかに速めることだろう。Allegro non troppo(急速調だが速すぎず)、ここから場面を転換したように血沸き肉踊る音楽に変わっていく。第一ヴァイオリンが、次いで木管がどんどん音階を上昇していき、最後のわずか手前ではpoco stringendo(わずかにテンポをしだいに速めて)、シンバルが次の場面の開始を告げる。Poco sostenuto(わずかに音の長さを十分保って)、主にトランペットと小太鼓による軍隊の行進。小太鼓からシロホンに変わって、危機の到来。やがてLargamente(非常に遅いテンポで、表情豊かに)、危機は悲劇へ。
悲劇の夜はrallentando(しだいに遅く、だんだん緩やかに)とともに終わりを告げ、フルートとホルンが救いの朝の訪れを知らせる。piu mosso(さらに速い)の指示は気持ち程度。クラリネットの安息の旋律。ピッコロが不安な響き、他の楽器へ伝播。それは大きくなることはないが、無視できないものを持っている。チェレスタの今後の波乱を予感させる響きをもってこの楽章は終了。
第二楽章、Allegretto(やや快速な調子)。まるで人の笑いを表現した響きの見本市のような、この楽章は様々な笑いの響きで埋め尽くされている。集中して聴いていると軽い眩暈を覚えるほどだ。ショスタコーヴィチの特徴がもっともよく表れているといっても良い音楽で、こんな事にこんなに徹底した音楽を書ける人は、彼をおいて他にいない。「問1:この楽章中に笑いの響きは全部でいくつあるか。また可能ならば、それらを分類せよ。」senza sord.(弱音器なしで)の低弦による含み笑いのような前奏で始まる。木管の旋律が始まり、一度弦楽器に渡して、木管主体での合奏。ホルンに移って、ピアノ、subito(すぐに)との指示はいまひとつよく分からない。今までフォルテシモだったのがピアノになったということで、遅れを懸念してのことかもしれない。最後まで笑いの音楽、しかしその笑いが無意味なものであるといっているかのような乾いた笑いの響きで締める。
第三楽章、ラルゴ。ヴァイオリンの美しくも寒々とした旋律ではじまる。旋律の動きに合わせてテンポを微妙に動かしていく。
ハープの伴奏でフルート。ここは一定のテンポで。オーボエからクラリネット、フルート、そして再びクラリネットのソロ。それが終わると、一気に冷たさを増した戦慄の響き。赤い夜。一片の希望も見出せない、ささくれ立った、容赦無い夜。酷寒の地の厳しさ、恐ろしさを表現したようでいて、実は無慈悲な人の心の内面を描き出したようにも思える。しかし、最後は一応の安堵とともに終わる。
第四楽章、アレグロ・ノン・トロッポ。いきなりのクレッシェンドからティンパニの力強い連打、主題が始まってすぐにaccelerando(しだいにテンポを速めて)。poco a poco(しだいに、少しずつ)の指示もきているが、何がpoco a pocoなのかといえば、その前のaccelerandoのことだろう。
スコア上の番号108、Piu mosso(もっと速く)で木管と弦楽器の空虚な速さの中でトランペットの空虚なソロが駆け抜け、番号109から数えて6小節目、強力なリタルダンドをかける。チューバと低弦はフォルテシモ、次の幕に備える。colla bacch.di Timp.(ティンパニの撥を持った)シンバルとともに激しく音楽が動き続け、強烈なシンバルと銅鑼からティンパニの連打に全パートが加わったらリタルダンド、番号111から7小節目。二拍目が終わったところで長い休止、第四楽章がここで終わる。
黄昏のような金管の響きで、事実上の第五楽章の開始。あまりにも激しかった第四楽章とはうって変わり、静かな、落ち着いた、冷たい音楽。ハープのソロの終わり2小節はリタルダンド。小太鼓が次の波乱を予感させる音楽の開始を告げる。番号123の頭で一瞬フェルマータ。
番号126から終結部。ヴァイオリンのtenuto(音を保った)で始まり、トランペットが入ったらリタルダンド。ショスタコーヴィチ独特の劇的な音楽が展開される。これを描きつくすには当然遅めのテンポが基本だ。とはいえスコア上の指定で大体いける。・・・が、番号131には四分音符が一分間に188の指定。これはこのスコアの解説文に書いてある通り、間違いだろう。最後は思い切りリタルダンドをかける。
この日はメインの「第五」のほかに、アンコール用としてヴェルディの「運命の力序曲」の練習もおこなった。
開始はアレグロだがもっと遅く。ベートーヴェンの「英雄」を想起させるような和音の連打から主題の演奏という始まりだ。この冒頭の和音のフェルマータはちょうど二小節分の長さでいいだろう。主題はAllegro agitato e presto(興奮させるほどの急速調)との指示だが、とんでもない。むしろはじまりよりももっと遅く。すぐに盛り上がって最初の和音の連打の再現、ここは最初よりもさらに遅く、音の意味が消失してしまうぐらい伸ばす。
次のフルート、オーボエ、クラリネットによる主題はAndantino(アンダンテよりも少し速め)だがここもむしろ遅めで演奏していく。con espress.の指示を生かし、充分に歌わせる。最後がちょん切られたような形で次へ。
ヴァイオリンのピアニシシモからはじまって全体へと拡大していく。Andante mosso(速めのアンダンテ)の指示はそのとおりで行く。
次はPresto come prima(これまで通りの急速曲)という指示なので、これまで通り遅くいく。劇的な盛り上がりの場面であり、速いテンポではビデオの早送りのごとく印象が薄くなる。途中弦楽器にcon impeto(激情的に)の指示が出るが、いわれるまでもなくその前から激情的に。
Allegro brillante(華麗に急速調で)、これも不要な速いテンポはとらない。ハープの伴奏でクラリネットが吹いていくが、espress.cantabile(表情豊かに歌うように)の指示でいける程度のテンポで。途中様相が二転三転するが、同様のテンポで。
Ritenuto grandioso(急に速度をゆるめて豪奢な)で全体でのフォルテシモ、実際にはその前から緩めておいて合奏に入ったときにはすでに遅いテンポで安定させておく。四小節目でリタルダンド、次の小節で若干速めのテンポかつアッチェレランド。
ヴァイオリンによる主旋律、ここもゆったりと構える。やがて盛り上がっていき、Piu animato(さらに活発な調子)もやりすぎず。最後は楽譜どおりの指示、リタルダンドもフェルマータもつけず、このまま普通に終わる。
練習後、古戸は真久田に話しかけられた。今では練習中に目が合うというより、お互いに目を合わせるような感覚になっている気がする。
「指揮って、やってて楽しいですか?」
この質問にはどう答えたらいいのだろう。
「楽しくは・・・・・ないですね。楽しいのとは違う。美しいだけ、そう・・・ただ・・・美しい」
ちょっと、気取りすぎだったか?別に偽っているつもりはないけど・・・
若干の後悔を感じないでもなかった。
「古戸さんは、留学とかは考えていないんですか?」
「!? 留学・・・、ですか?」意表を突かれた問いに古戸は、返答に詰まった。
「真久田君?そろそろ時間だよ」
倉石が現れ、真久田を呼んだ。振り返り際にちらと視線を自分に投げかけた。
一瞬いくらか切迫したような表情を作り、真久田は倉石に応じた。
「頑張って下さいね」そういって彼女は姿を消した。
日が改まって、同じ練習室。
古戸は村眉の指揮による練習を見学に来ていた。村眉が選んだのは「第11」だ。
・・・・・うッ・・・!
まるで聴くものを攻撃でもするかのような響き、殆ど「暴力的」とさえ言いたくなるそれは、・・・・・・・これほどまでに・・・
「何というか、凶暴な音楽としか言いようがないですね・・・」
「そういう作品だろう、これは」
休憩を挟んで次の指揮者による練習が始まった。篠堀が言っていた、「ステージ上に呼び出された」男だ。
なるほど、指揮姿は異常なほど決まっている。とにかく格好良いの一言だ。引き出された音も抜群に美しい。だが・・・どうもその音が、作品と合ってないと言うか、奇妙な齟齬を感じさせる。なんとなく、それが指揮姿にも表れているような・・・
終わったらちょっと話を聞いてみよう。
休憩時、古戸の方から話し掛ける前に、向こうのほうから古戸の方へ歩み寄ってきた。
「古戸君、だったね。俺は哲学部一般哲学学科一年の柄谷 佳彦。君の事は今江先生から聞いてるよ。他の人と違う音楽をつくるというんで、ちょっと気になっていたんだ」
「哲学部?」古戸は聞き返した。
「ああ、そうだよ。俺の中では哲学も音楽も、同じくらい大事なんだ」
最初は柄谷の指揮について聞こうと思っていた古戸だったが、いつの間にか彼が自分の音楽観について語りだすのを聞く役にまわっていた。
「この世に交響曲という音楽を生み出しているのは、まず最初の具体的なイメージを描き出す作曲家。そしてそのイメージを実際の音として現実化させる演奏家。さらにその音の全体を管理、制御して『芸術』として高める指揮者。この三者だ」
「ああ、そうだね」
「三者のうちもっとも偉大なのは作曲家。次いで指揮者、そして演奏家の順だ」
それを聞いて古戸は、思わず反発した。
「そんなことはないんじゃないか。大体それをオーケストラのメンバーが聞いたら怒るぞ。実際に音を出すのは演奏家なんだから。指揮者がいなくても音楽は作れるが、演奏家がいなかったら音を出すことすらできない」
「そりゃ随分な詭弁だな。君がそんな短絡思考の持ち主だとは思わなかった。て言うか一応君も今指揮者をやっているんだから、それがどんなに無茶な台詞か判らないか?もし指揮者がいなかったら、フェルマータ一つ合わせられないぞ」
一瞬にして自分の矛盾を突かれたことを悟った古戸は、自分が軽率な反応をしてしまったことを後悔した。
「まあ百歩譲って、それも一局の碁、一局の将棋だと認めたとしてもだ。確かに、そういうあってもなくてもいいどうでもいい音楽なら指揮者抜きでもつくれるだろう。だけど、人を感動させる音楽をつくれるのは指揮者がいてこそだ。別に俺だって何の根拠もなくこんなことを言うわけじゃない。実際俺は聴いたことがあるんだ、そういう退屈な演奏を。ある有名な指揮者の追悼記念だとかで、あえて指揮者を立てないで演奏した録音だ。世界でも五本の指に入る有名なオーケストラだぞ。ところがその演奏ときたら、輪郭がぼやけているというか、鈍いというか、これがあのオケなのかと思うようなひどいものだったんだ。それで指揮者の重要性を痛感したんだよ」
「まあ、それは彼個人の意見ということでいいんじゃないの」
「SPOCA」で、ハイビスカスティーを飲みながら瑠非違使は古戸に言った。
「君はどう思う?」
「俺は三者同格だと思うけどね。どこかひとつに問題が生じてもいいものはつくれない」
「彼が振ったときの音楽も、何か違和感を感じたんだ。音が作品から浮いているというか、作品のテーマが見えてこないというか」
「まーねー・・・ただ綺麗な音を響かせるだけだったら、別にわざわざクラシックをやる必要もないからねー」気のなさそうな返事を瑠非違使は返した。
「一瞬一瞬だけを考えるなら、たぶん彼の音楽は最高に美しいと思うんだ。でもそれを作品全体で見たら、どこに美しさがあるのかいまいち見えてこない・・・うーん、何かうまく表現できないな」まだ諦めきれない様子で、古戸は続けた。
「それよりお前、ノニティーなんて飲むなよ。くそ不味いだろ、それ」
「でも、からだにはいいらしいぞ。慣れればこの独特の酸味も心地よいかも知れん」
「君の独創的な発想の秘密が、わかるような気がするよ」
そして、アンコール用に「運命の力」を用意して臨んだ演奏会だったが、それが使われることはなかった。
自分の創り上げる音楽に対する疑念、それは今まで考えもしなかったものだったが、それは彼の心中に僅かに、だが確実に翳りをもたらしていた。
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