「・・・なんかずいぶん人数が減った気がするんですけど」指揮者ミーティングで、テーマが決まった後に古戸が発言した。
「例年そうなんだけど、この時期に脱落者が出て来るんだよ。返ってきたアンケートを見て自信をなくしたりとか」久那津が答えた。
「とにかく率直な意見を聞かせて欲しいと書いているからね。まあ容赦ないのも結構あるから」
「こないだも酷いのがあったよな。才能がないからやめたほうが良い、とか、自分だったらこんな恥ずかしい演奏人前で披露しようと思わない、とか」
「本当に全部聴いたのか疑わしいけど、出て来た指揮者をことごとく罵倒するのとか」
「ハハハ、まるで紀貫之だな、六歌仙を酷評し、その他の歌人は話にもならない。みんな自分の足元にも及ばないというわけか、大した自信だ」
「無記名だから書こうと思えば好き放題書けるからね。何様と思うけど、参考になる意見だけ拾っていける芯の強さがないとこういうことを続けていくのは難しいんじゃないかな」
「ところで、この中で海外留学を考えているものはどれぐらいいるかな」今江が尋ね、数人が手を上げた。
「なるほど。まあ留学でなくとも、旅行でもいいから、一度は海外に行ってみるといいぞ。海外の珍しい文物に触れるという経験が固定観念で凝り固まった頭を解きほぐし、定めし君たちの音楽の幅を広げることだろう。一度外に出てみることで日本の良い点悪い点が見えてくるし、改めて日本の文化の貴重さも実感できるだろう。私の例で言うならば、チリのビーニャ・デル・マールという町に行ったことがあるが、実に美しい町だった。考古学博物館ではラパ・ヌイにあるアフと呼ばれる台座がインカ帝国の例の石垣に非常に似ているという写真もあって大変興味深かったな。実は沖縄にも類似の遺跡があって私はその関係が非常に気になっているんだが、まあそれは措くとして、夜に隣町のバルパライソへタクシーを飛ばしていったんだが、夜景が本当に見事だった。山全体が光で埋め尽くされていて、こんな夜景は他では見たことがないほどのものだったな。それに食事も素晴らしかった。チリと言えばワインというイメージがあるが、実はチーズも非常に美味い、というか今まで食べたチーズの中でもチリで食べたものが圧倒的に美味かった・・・そうそう、ビーニャ・デル・マールのレストランに入ったら、日本のポピュラーソングのピアノ編曲版が流れてきたんだ。それも今から30年も前の曲だ。こんなものがこんなところで聴けるということにちょっと驚いたね」
「私はちょっと変わったところで、サンディエゴの美術館とサントドミンゴのアルカサルが印象に残っていますね。サンディエゴのほうはルネサンス時代の名も知れぬ画家の作品が収蔵されていました。サントドミンゴの方にはクリストバル・コロン総督の時代のスコアやハープ、あと果物の絵なんかが飾ってありました。スコアなんか記譜法が今のものとは全く違っていて非常に面白かった」目蹴部も自分の体験を披露した。

 空き時間を利用して、週一回は喫茶店「SPOCA」で瑠非違使との茶飲み話に花を咲かせるのが、最近の古戸のルーチンワークのようになっていた。
 瑠非違使は自分にほとんど勘違いのような才能を見出しているらしく、やたらと自分を気にかけている。それはそれで何か問題があるわけでもないので、その瑠非違使の「勘違い」がどこまで続くのか、興味深く見ていくことにした。

「確かに旅は芸術家にとって必要かもしれないね。モーツァルトみたいに人生の三分の一を旅に費やせとまでは言わないけど。俺は昔南米を旅行したことがあるね。モンテビデオの博物館にあったピアノ・プレイエルは綺麗だったな。それとブエノスアイレスでは劇場をそのまま利用した書店なんかもあって、こんな書店は日本じゃありえない。でもブエノスアイレスといえばやっぱりテアトロ・コロンでしょう。俺が行ったときはコンサートはやっていなかったんだけど、館内見学ツアーに参加してきたんだ。まあ凄いねやっぱり。天井と床の音響の秘密とか、ね・・・演奏の良し悪しだけでは語りつくせない、その場に行かないと分からない何かが、確かにそこにはあるよ」古戸と瑠非違使がそれぞれアールグレイとカモミールを注文したあとで、瑠非違使が自分の体験談を語り始めた。
「ふーん・・・なんか俺も行ってみたくなって来たな」
「それと、スペイン系の国はデザートが絶品だよ!これは絶対一度体験したほうがいい。もうプリンなんか日本じゃ味わえないようなものだからね。そういえば、街中でやたらあれ、・・・何てったっけ・・・昔のアメリカのポピュラーが流れてたな。よっぽど向こうの人たちのお気に入りなのかな。まあ確かにいい曲だと思うけどね。あとリマの市内にある、煉瓦を積み上げた遺跡も面白かったし、そこで飼ってたアルパカの赤ちゃんがまたかわいかったな。思わずお土産屋さんでぬいぐるみ買っちゃったし。それと、日本では絶対に飲めないお茶も飲めたのは良かったな」
「へえ、どんなの?」
「マテ・デ・コカ。コカの葉で淹れたお茶」
「それって・・・麻薬の原料じゃないの?大丈夫、そんなの飲んで?」
「麻薬の成分を抽出して純度を高めてるから危険なのであって、コカの葉そのものは別に問題ないよ。味もいたって普通だし。こんなものかって感じ。胃にも優しい感じがするね。でも今となっては、あの草っぽさが懐かしいな・・・」
「ふーん・・・そういえば、芸術家が麻薬に手を出して警察に捕まる事件が時々あるけど、君はどう思う?そういうものも、芸術家には必要なのかね?」
「そんなの俺が言うまでもないと思うけどね。芸術家に限らないけど、麻薬とか覚醒剤とか幻覚剤なんかに手を出すようになったら終わりだね。要は行き詰った芸術家が現実逃避で手を出すのがそういう薬物なわけで。薬物に手を出すということは、芸術家としての死を意味します」
「薬物の力を借りていい作品が作れる、というわけには行かないって事?」
「当然です。薬物を使って書き上げた作品、君は挙げられる?」
「・・・ベルリオーズ」
「あれは別に薬物の力を借りて作品を書こうとしたわけじゃなくて、失恋の果てに自殺しようとして飲んだだけ、そもそもの目的が違う。分かっててわざと言ったんだろうけど。とにかく創造性の源となる力をつけようと思ったら、例えばさっき言った海外に行ってみるとか、自分の知らない世界を体験したほうが絶対良いね。誰が言ったか知らないけど、異分野との邂逅、これですよ」

「指揮の中で最も重要なのは、結局テンポの調整じゃないか、と最近思うんだ」
「なんか昔いた指揮者の台詞みたいだな」
「もちろん音の強弱をはじめとした全体を、スコアをもとに再構成する、と言う部分もある。でも、バロック時代の作品ならともかく、俺たちが扱っている時代の作品はスコア自体にとても細かい指示が書かれていて、実際それにしたがっていれば大体うまくいく。ところがテンポだけは、多くは最初に書かれてあるだけで後の指示はないに等しい。指揮者に残された仕事の本質が、そこにあると思うね」
「ないに等しいって所が、ちょっと引っかかるけど、まあ君個人の意見だからな。俺は演奏とか指揮ってのは仏に魂を入れるようなものだと思うけどね。次はドヴォルジャークだそうだけど、どうするんだ?」
「『新世界』にするよ」
「無難な選択だけど、他にも良い曲があるよな。『第4』とか『第8』あたりも候補には考えなかったのか?」
「もちろん考えたよ。でも指揮者としては、今のところめぼしいアイディアも浮かばないし・・・」
「普通に演奏することを良しとしない君としては、今回は見送りたいというわけね」
「まあ、そんなところですよ」

 ドヴォルジャークの交響曲第九番は「新世界より」という副題がつけられている。新世界、つまりアメリカでの生活中に作曲されたわけだが、彼はニューヨークにきてまもなく強い郷愁に駆られたそうだ。この曲のどこを切っても寂しさの味が現れるのはそのような事情が関係している。そういった経験とは無縁のわれわれにとっては、例えて言うなら冬から春への季節の変わり目にふと寂しさのようなものを感じる時、強い共感を持って心を揺さぶられる曲だと思う。
 そういった郷愁の表現も含め、ドヴォルジャークの作品の特徴でもある魅力的なメロディーはこの作品にも詰まっている。このメロディーを生かす指揮ができるかどうかで、面白くもなりつまらなくもなるというわけだ。
「新世界より」の楽器構成は、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニ他打楽器、それに各弦楽器。現代のオーケストラの標準的な構成にかなり近い。

 第1楽章、Adagio(ゆっくりと)。チェロの寂しげなメロディーから始まり、クラリネットとファゴットが伴奏気味に入る。凛としたホルンの響き。そのホルンは十分に減衰するまでフェルマータ。人っ子一人いない平原、そこにそよぐ風のようなフルート、そしてオーボエ。
 突然弦楽器、ティンパニ、ホルンの衝撃。弦楽器は少々遅めに、一つ一つの音をはっきりと鳴らす。ティンパニの強烈な音が追い討ちをかけ、遅れてホルンが追従する。チェロとコントラバスがフォルテシモで、しかも最初の三つの音ははっきりと区切って入る。最後低弦のフォルテピアノからデクレッシェンドはこのとおりではなく、始めの二つの音はフォルテシモで、はっきりと。三つ目の音の途中からデクレッシェンド。フルートとオーボエの優しい響きがホルンとヴィオラ、チェロのうねりに飲み込まれる。ここのフルート、オーボエはゆっくりと、充分旋律を歌いきって。全員で、悲劇の到来を告げるような響き。第1ヴァイオリンの高い音は特に重要だ。
 ホルン、クラリネットとファゴット、オーボエ、フルートと来て最後に弦楽器へメロディーが渡され、全員での合奏。第1ヴァイオリンを中心に盛り上がっていき、金管楽器が主題を鳴らし、第1ヴァイオリンが調を変えながら受ける。裏でホルンとティンパニが支える。弦楽器と木管による過渡的な旋律が入り、フルートとオーボエによる懐かしさを表現したようなメロディーはゆっくりと。チェロのピチカート。ヴァイオリンに渡される。低弦は弓に戻し、ヴィオラはnon legato(滑らかに連続した奏法でない)、不安が顔を覗かせる。molto cresc.(ひどく音を大きくしていく)の指示だがむしろ抑え気味に。チェロの印象的なピチカートとともにヴァイオリンが調を変えながら弾いていき、ひとつの山を形作る。低弦の不気味な強風のような旋律と、その風が一瞬やんだかのようなヴァイオリン。強風も次第にやんでいき、フルートのsolo(独奏)は楽しげに吹いてもらう。続いてヴァイオリンに渡される。クレッシェンドを経て、全員のフォルテシモを経てリピートへ。戻らずに次へ進む。
 最初の激しさがだんだん落ち着いていき、ホルンのソロへ。ここでホルンを登場させるところが、作曲者の明晰さを感じさせる。最終的にトランペットに渡されるが、そのトランペットがクレッシェンドしていき、荒れた海が現れる。トロンボーンがさらに荒々しさを加える。ホルン、次いで弦楽器が不安な旋律を奏でる。またまたトロンボーンの荒くれた旋律、そしてヴァイオリンが不安感を煽る。やっとオーボエが荒れた海に終わりを告げ、フルートのソロに入るが、その旋律には不安な予感が付きまとう。最初のテーマの再現。ヴァイオリンが転調していきフルートのソロへ。クラリネット、ファゴットが加わってヴァイオリンに渡される、そのヴァイオリンはやはり不安感を増大させていき、チェロのピチカート、大海原の出現、そして低弦のうねり。それがおさまってフルート、ヴァイオリンと旋律がわたっていき、クレッシェンドしてホルンがこの楽章のクライマックスの開始を告げる。
 そういえば・・・・ドヴォルジャークの祖国には、海がない。この部分は、もしかして、アメリカへ渡航する彼自身の体験を元に作曲されたのだろうか。
 トランペットとヴァイオリンが中心となって、全員で最後の山を形作る。この楽章中何度となく繰り返された旋律を力いっぱい吹き鳴らし、第一楽章が終わる。

 第二楽章、Largo(非常に遅いテンポで、表情豊かに)だが、ここは違う。メロディーを生かすためには、むしろきびきびと運んでいくべきだ。
 クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーンによる複雑な和音の味。弦楽器はcon sordino(弱音器をつける)、Corno inglese(イングリッシュ・ホルン)のソロ。このソロも徒に遅く吹いてはならない。チェロからフルートへ音階が上がっていき、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴットで最初の和音の再現。金管と打楽器が加わるが、乱暴にならずに、フォルテぐらいで。
 ピアニシシモで弦楽器。オーボエから弱音器をつけたホルンへとソロが引き継がれ、第二部へ。
 フルートとオーボエによるさびしいメロディー、Un Poco piu mosso(わずかにもっと速い)というなんとも微妙な指示だがそれほどこだわらなくていい。要はこの寂しさを生かそうと思ったら、これまでよりも速めのテンポで、いかにも「はかなく過ぎ去る」という感じを出せればいいだろう。その中でどれだけ「味」を出せるか、奏者の腕の見せどころだ。ヴァイオリンとヴィオラがメロディーの寂しさを増幅させる。代わってオーボエとクラリネットとコントラバスのピチカートが登場、Poco meno mosso.(わずかに速度をおとす)。後半フルートが入り、ヴァイオリンの長めの旋律に渡る。
 小鳥の囀りのようなオーボエ、そしてフルート。ヴァイオリンに渡り、トランペットの助走が入って全員でのフォルテシモは山岳地帯に昇った朝日のごとく雄大に。オーボエが最初の主題を再現。途中でヴァイオリンに替わるが、途切れ途切れに演奏される。最後はあの和音の再現。

 第三楽章、Scherzo.(諧謔曲)。テンポはMolto Vivace.(非常に速く、生き生きと)だが最初は遅く。この楽章はトライアングルが使われる。そのトライアングルが入る冒頭。コントラバス、ヴィオラ、第一ヴァイオリンと継がれる三連音の旋律は、特にヴィオラから遅く、はっきりと。フルートとオーボエにクラリネットが入り第一ヴァイオリンへ。裏で第二ヴァイオリンの流れるような旋律。ティンパニのフォルテシモとともに弦楽器のスタッカート、ホルンが高らかに鳴らし、やがて管弦楽器の合奏になりリピートへ。このリピートは指示通り戻る。
 ディミヌエンドしていきフルートとオーボエの落ち着いた旋律。若干リタルダンドもかける。Poco sostenuto.(結果として少し遅めに、音の長さを十分保って)の指示だが、普通に遅いテンポで構わないだろう。クラリネットに引き継がれ、フルートとオーボエが受ける。再び最初の旋律を、今度はファゴットとチェロが奏でる。終わってa tempo(元のテンポに戻す)、ピアニシシモ。この楽章冒頭の旋律からクレッシェンド、全体でのフォルテシモ(弦楽器はフォルテシシモ)による力強い演奏。
 過渡的な旋律の後、木管楽器による明るい旋律。繰り返しの後、ヴァイオリンが受けて木管とヴァイオリンが交代で演奏する。D.C.Scherzo e poi Coda.(この楽章の初めから、その後で結尾部へ)の指示によって最初に飛び、al Coda(結尾部へ)でこの楽章の最後へ飛ぶ。
 弦楽器のフォルテシモがだんだん弱くなり、ホルンの勇壮な旋律。そして全体での合奏。潮が引いていくようにおさまり、ほとんど聞こえないようになってから、突然のフォルテシモでこの楽章は終わる。

 第四楽章、Allegro con fuoco.(情熱的に急速調で)弦楽器が盛り上げていき、トランペットとホルンによる、あの誰もが知っているメロディーの吹奏。それを弦楽器が受けて、第一ヴァイオリンと木管楽器によって再びそのメロディーの演奏、途中で方向を転じヴァイオリンが三連符の旋律。途中木管と交代しながら、やがてディミヌエンド。霧の中に迷い込んだようなシンバル(この曲全体を通じてこの一音しかない)とファゴットが鳴らされ、クラリネットのソロ。裏でチェロの支え。トランペットのファンファーレ的な吹奏では第1トランペットはgとdをそれぞれbとf#に変更、効果を上げる。弦楽器がmarcato.(強調された)で演奏し、次の場面へ。デクレッシェンドを伴う。木管が入ったら多少遅くする。ピアニシシモでリタルダンド。クラリネットが入るところでもとのテンポに戻す。一瞬の静寂。ティンパニが入って次なる波乱の予感。フルートとオーボエの旋律すらもその予感に巻き込まれている。クレッシェンドしてホルンが最初のメロディーの再現、ただしその調は哀感あふれるものに変わっている。語尾はしかし、それを否定したい心情を持つ。再びフルートとオーボエ。ティンパニとともにクレッシェンドしてホルン。次の場面へ移行、ヴァイオリンがleggiero(軽快な)三連符を奏で、下降しつつクレッシェンド。ヴィオラ以下の序奏に続きフルートとクラリネット。二回調を上げて同じ旋律、クレッシェンドしてトランペットとトロンボーンが最初のメロディーの断片。それを低弦が引き継ぎ、他のパートがかぶさる。同じような展開で盛り上がっていき、管楽器が全てfz(強調された)になるクライマックスはリタルダンドをかける。トロンボーンとティンパニ以外全てフォルテシシモ、この場面の終わりでフェルマータ。
 ホルンとオーボエが戦い破れた後のように弱弱しく、最初のメロディーを吹く。チェロが中心となって落ち着いた旋律。ヴァイオリンに渡されてまたまた盛り上がると思わせるが、途中で沈降して木管に引き継ぐ。弦楽器のバックアップを受けながら木管が吹く。ホルンのソロが終わりを告げる。低弦とファゴットの荒海、再び全員でのフォルテシモ、フォルテシシモ。ヴァイオリンの最高音が現れてからアッチェレランド(だんだんテンポを速める)、管楽器がすべて全音符になるところでは非常に速く、フォルテシシモの前でリタルダンド。
 ディミヌエンド、落ち着いていく。ホルンのソロのあと、弦楽器が入るといよいよ最後のクライマックスだ。後は流れに任せて、リタルダンドやフェルマータを使って締めくくる。最後のデクレッシェンドは木管パートのみ無視し、木管は最初からピアノで。

 練習中、古戸はヴァイオリン奏者の真久田と頻繁に目が合うのに戸惑いを覚えていた。

 なぜ彼女とはよく目が合うんだろう?別に意識しているつもりはないんだが・・・いや、本当は意識しているんだろうか・・・それにしても丸い、あまりにも丸すぎる。人間の瞳がこんなにも丸いものだったなんて。こんなにもキラキラした、綺麗なものだったなんて。

 練習が終わった後、真久田が古戸に話しかけてきた。
「古戸さん」
「はい」
「オーケストラの指揮には、慣れましたか?」
 ・・・??? いったい何の意図があって、そんなことを聞いてくるんだろう?良くわからないまま、普通に返した。
「ええ、まあ、少しは」
「真久田君、」離れたところから倉石が彼女を呼んだ。
「はい」彼女は倉石のほうへ行き、この意味不明な会話は終わった。
 ある貴重な体験に水を差されたような、残念な、がっかりしたような感じを付きまとわせながら、古戸はその場を離れた。

 そして演奏会本番を迎え、自分の実力に少しの自身と多くの不安を抱えながら、何とか乗り切った。
 拍手の大きさは、形式的なものか、それともすこしは賞賛を含んでいるのか。

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