「この際だから言ってしまうが、私は、今度の遠征が最小限の犠牲で失敗してくれるよう望んでいる(中略)惨敗すれば、むろん多くの血が無用に流れる。かといって、勝てばどうなるだろう。主戦派はつけあがり、理性によるものにせよ政略によるものにせよ、政府や市民のコントロールを受けつけなくなるのは明らかだ。そして暴走し、ついには谷底へ転落するだろう。勝ってはならないときに勝ったがため、究極的な敗北に追いこまれた国家は歴史上、無数にある」(第1巻・294頁)
この作品には史実に取材した場面が多数登場する。ここもその一つ、ずばり言うならば真珠湾攻撃から太平洋戦争の敗戦へという流れである。そして、最初の一言は真珠湾攻撃に対する山本五十六の「期待」である。つまり、ここで作者はシトレの口を借りて山本の内面を吐露させているのだ。
この言葉を想起すると、私は白村江の戦いと真珠湾攻撃を対照的な構図として思い浮かべる。前者では負け、後者では勝った。その結果どうなったか。
「君は歴史にくわしいため、権力や武力を軽蔑しているところがある。無理もないが、しかし、どんな国家組織でもその双方から無縁ではいられない。とすれば、それは無能で腐敗した者より、そうでない者の手にゆだねられ、理性と良心にしたがって運用されるべきなのだ。」(第1巻・294頁)
アムリッツァの戦いに先立つ作戦会議が終わった後、ヤンとシトレの会話から。武力を持たずとも存在できる国家を理想の国家とするならば、そこに到達するための前段階として、合理的で統制された武力が必要なのかもしれない。
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