「妙な表現になりますが、今日まで銀河帝国とわが同盟とは、財政のかろうじて許容する範囲で戦争を継続してきたのです」(第1巻・247頁)

 アムリッツァ出兵前の会議におけるレベロの台詞。当たり前の台詞のように思えるが、これに反する事例がいくつか存在し、それ自体が次の戦争の原因になっている。第一次世界大戦のイギリスとフランスは自国の財政状況をはるかに超える借金をした結果それをドイツに請求せざるを得なくなり、結果ドイツの経済破綻を招きNSDAPの政権奪取に繋がっていく。日露戦争における日本もロンドンを拠点にして外債を募集した。その借金に苦しめられた日本政府は当時の帝国主義の風潮もあって植民地の獲得で財政を立て直そうとしたが、結局この借金を完済したのは1980年代のことだそうだ。第2次大戦の戦勝国であるアメリカにおいても、あまりに金がかかりすぎるという理由で原爆の開発中止が議会で何度も議論された。戦争というものがいかに金を使うものであるか、いかに国家経済に悪影響を与えるものであるか、為政者は肝に銘じておくべきだ。


「健全化の方法としては、国債の増発か増税か、昔からの二者択一です。それ以外に方法はありません」
「紙幣の発行高を増やすというのは?」
(中略)「財源の裏付けもなしにですか?何年かさきには、紙幣の額面ではなく重さで商品が売買されるようになりますよ」(第1巻・247〜248頁)

 同じ会議におけるレベロと副議長のやりとり。レベロは国家元首としては時代の巡りあわせもあり無能さを曝け出したわけだが、このやりとりをみる限り経済には明るく、財務関係の政治家としてはかなりの手腕を発揮する潜在能力は持っていたようだ。
 国債の増発で公共事業を起こす方法はそれが税収の増加という形で返ってこなければ意味がない。税収を増加させるためには市民が有効に利用して経済活動を活発化できるものを作らなければならない。また公共事業自体の費用対効果が低くても意味がない。アメリカのニューディールやバブル崩壊後の日本がその(悪)例である。
 紙幣の発行高を増やすというのは要するに中央銀行の国債買い取りのことだが、これは必ずしも危険な方法というわけではない。経済が成熟して貨幣量の増加=需要の増加とならない場合、インフレは起こらない。が、現実にはこんな方法に頼らなければならない国家というものはたいてい国内の生産力が落ちて、財政的に追い詰められているものだ。その場合貨幣量の増加は物価に即座に反映される。


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